
2011年5月。
「【第二話】僕がバイクを手に入れた日と父さんのバイクライフが豊かになった話」のとおり、僕は初めてのバイクを手に入れた。
そして、その2日後にやや無謀とも思える計画を実行することとなる。
この【第三話】は、僕のバイクライフの土台にもなった経験のお話。
1.「寝起きのクラブマン」と「有頂天の僕」

「もう怖すぎ・・・バイクじゃなくて飛行機で帰ろうかしら」
舞鶴のフェリー乗り場で、北海道行きの便を待ちながら僕は一人でそんなことを考えていた。
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遡ること2日前。
念願の普通二輪免許を取得した僕は、目をキラキラさせながら実家がある兵庫県へと向かった。
父さんが昔乗っていたバイク(GB250クラブマン)を譲ってもらうのだ。
>>>譲ってもらう話は「【第二話】僕がバイクを手に入れた日と父さんのバイクライフが豊かになった話」を参照
それが「製造されてから23年が経過していて、10年以上も倉庫で眠っているバイク」であるという事実に不安は感じたが2秒で忘れた。
「自分のバイクが持てるんだ」、その一心で僕のワクワクは最高潮に達していた。
よくよく考えてみると、クラブマンにとってこれほど迷惑なことはないと思う。
ゆっくり眠っていたところを叩き起こされ、急に目をキラキラさせた奴が背中に乗ってきて、2日後には100キロ以上走らされたあげく、舞鶴のフェリー乗り場まで連れて来られて、これから北海道へ連れていかれるのだから・・・
「おーい、こちとら心の準備がまだですよ」
舞鶴に行く途中でスピードメーターの針がまったく動かなくなった時、クラブマンがそう言っているように感じた。(後日、スピードメーターのワイヤーが切れたのが原因だとわかった)
「寝起きのクラブマン」と「有頂天の僕」。
最初はテンションの均衡がまったくとれていなかったこのコンビは、だんだんと息が合ってくることになる。
僕のテンションが下がっていくことによって・・・
もうね、バイクに乗って2日目で兵庫県から北海道ツーリングに行くなんて、圧倒的に経験不足なわけですよ。
2.北海道ツーリングの理由と僕の誤算

・・・言い訳をさせて欲しい。
当時、僕は北海道の大学に通っていて、函館に住んでいたのだ。
教習所でバイクに乗っていた時はそれほど恐怖を感じなかったため、「兵庫から北海道までバイクで移動するくらいチョロイよね」と考えていた。
大きな間違いなのだ、チョロイはずがないだろう、馬鹿者(当時の僕)よ。
教習所には恐怖を感じる要素がなかっただけの話だ。
実際、公道をバイクで走るのは恐怖の連続だった。
周りの車の猛スピードと近すぎる距離感、無礼な運転をする人の多さに驚いた。
さらに、こちらは生身でバイクに乗っているわけであり、防御力に関しては「無課金ユーザー」のそれである。
相棒のクラブマンは10年以上の眠りから叩き起こされた寝起きのおじいちゃんバイクで、それを初心者の僕が運転しているわけだ。
もし「乗り物と運転手のスペック対決」が開催されたら、僕たちは最下位争いを免れないだろう。
僕の不安に追い討ちをかけるように、スピードメーターが動かなくなるというトラブルに見舞われた。
自分の速度がまったくわからない。
焦った僕は父さんに連絡してみたが、「いいねー、そういうトラブルも旅の醍醐味や」と謎の見解を示しながら笑っていた。
「ダメだ、この人とは話が合わない」
僕にはトラブルを楽しむ余裕はないのだ。
(ただ、旅慣れした今の僕なら父さんと同じことを言うと思う)
想定していなかった問題がもうひとつ。
クラブマンがキャブレター式(旧式の燃料供給装置)のバイクだったことだ。
キャブレター式とは、「キーをひねって、セルを回すだけ?そんな単純な手順でエンジンがかかると思うのかい?」と初心者がバイクに呆れられるような仕組みだと思ってもらえばいい。
「セルを回す前にチョーク引いてガソリンの濃度を濃くすることによってエンジンをかかりやすくする」
父さんからはそう教わったものの、僕にとっては「ちょっと何を言ってるのかわかりませんよ」って感じだった。
チョークを戻すタイミングや加減がわからず何回もエンストした。
エンジンをかける作業が嫌になったので、極力エンジンを切らなくて済むように配慮することにした。
もはや主導者は僕ではなくてクラブマンのキャブレターだ。
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そんな調子でなんとか舞鶴に到着した僕が半ベソをかきながら考えていたことが、
「もう怖すぎ・・・バイクじゃなくて飛行機で帰ろうかしら」
という冒頭のセリフだった。
3.北海道の家に到着した僕が思ったこと

結論を言うと、僕は北海道の家に無事に到着した。
その時の感動は今も忘れられない。
「エンジン、上手くかかるかなあ」という初歩的すぎる不安から始まり、周りをキョロキョロしながらフェリーにバイクを乗せた。
紙の地図(ツーリングマップル)も初体験だったから道にも迷ったし、急に天候が悪くなって雨にも当たった。
なにより、公道の怖さと自分の運転技術のなさに心が折れた。
それでも、兵庫から(フェリーを使ったとはいえ)北海道まで、自分の力で移動できたという経験は尊い。
とにかくバイクで旅をすることの楽しさと「やればできる」という自信を得たのは思わぬ収穫だった。
「バイクさえあればどこへでもいける」
本気でそう思った。
この経験は、僕のバイクライフの強靭な土台になっている。
▼この記事は【第三話】です。続きは以下よりどうぞ。